毎年わたしの家族の1つのクリスマス伝統は、地下鉄にのってトロントのクリスマスウィンドーを見ることで す。1つ1つの窓からは居心地良いお祝いのクリスマス風景が広がります。ある窓は伝統的なビクトリア朝のクリス マス・イブパーティーがあり、隣には昔ながらのランプやキャロリングする人がいる小さな町の景色があるかもしれませ ん。次々とあります。私はこの窓が大好きで、毎年自分がその夜どれか1つの風景の中に入ることが出来ると想像 をし、楽しんでいます。事実、人生において私たちの周りにはたくさんの風景があります。目をしっかりあけ、心の準 備が出来ておれば、それらの景色の中に入ることが出来ます。
私と一緒に歩いてください。2つのクリスマスウィンドーを通ります。
一つ目: 居心地良いリビングに暖かい暖炉、キレイな飾り付け。この部屋には綺麗な女性やかっこいい男性が多 く、話しをしたり、笑ったり、乾杯して、友情を楽しんでいます。可愛い格好をしている子供たちはゲームをしたりチョコ レートを隠れて食べたりしています。
二つ目: 政府資金による老人施設。汚い臭いがする待合室に、傷つき、1人ぼっちな人ばかり。歳をとった白髪の おばあちゃんがよだれをたらしながら頭を下げ、目は遠いところを見ている様です。隣に両足をなくしているおじいさん が車椅子に座っています。
二つのシーンです。そしてあなたは決断をします。
どちらに景色に入り込みますか?始めのシーンに入れば、居心地よく暖かく、楽しく、明るくなれます。二つ 目を選ぶのであれば、人に仕えて、疲れて終わります。 私たちクリスチャンとして、クリスマスに誕生を祝うイエス様が、この世の中を明るくして下さると信じていますが、神様 は私たちを通して世の中を明るくしたいのではないでしょうか?
本当の、「クリスマス気分」はなんでしょうか?
今、私の教会の女性たちは皆 J.I. Packerが書いた「Knowing God」(神を知る)を読んでいます。2週間ほど前に 「神が人間の姿になる」章を読みました。間もなく来るクリスマスの季節を待ちながら、神が人間になったことについ て読んでいました。一緒にいる時間が終わりに近づくと1人の女の人はこの言葉を読みました。
「私たちは軽々しくクリスマス気分のことを話します。クリスマス気分というのは私たちのなかで、家族と一 緒に過ごし感情が豊かになることを意味するのみです。しかし...本当は[イエス様がこの地に来られた時の、イエス様 の気質になる]ことを意味するべきではないでしょうか?」私たちは人の必要を見て、その必要から目をそらす人生を 歩んでいる、と彼女は読み続けました。
それはクリスマス気分ではありません。多くのクリスチャンは良いクリスチャン家庭を建てて、良いクリスチャン の友達を作り、子供をいいクリスチャンとして育てる事を目標としています。高ぶったクリスチャンからは本当のクリス マスの愛が伝わりません。クリスマスを祝うことは、自分を貧しくし、人のために自分を尽くし、人のために自分の時 間を費やし、気を留めて、心を配ることです。自分の友達のためだけではなく、必要を抱えている人を見た時です。 この言葉は心にひびきませんか?毎日私たちは選ぶことが出来ます。私は居心地がいいシーンに溶け込みますか? それとも暗闇に歩き、光を照らしますか? 始めに話したような老人施設に住んでいる友達がいます。私はその友達に会いに行くことは少なすぎます。手紙を 書かなさすぎです。電話しなさすぎです。キリストが私を愛するように私は彼女を愛していません。
居心地良い家や友人は神からの賜物です。神様はどちらかにしなさいと命じていません。家族や友達、ク リスマス会は私たちが神の栄光のために楽しむことが出来るためのものです。 しかし私たちのクリスマスは食事祝いばかりで、互いの重荷を支える難しい、暗い、謙遜が必要な人間関係がなけ れば、私たちは救い主に似たクリスチャンになっていません。私たちはこの世で主の手、足、心であるべきです。これを 私たちは知っており、こう生きたい気持ちはありますが、忘れがちですね。忘れてしまい、居心地良い友達と居心地 良い家で居心地良い人生を歩みながら神様を求めます。多くの場合私たちはあの最初のシーンに住んでいます。 寒く暗い場所に行くことを忘れてしまいます。
時には暗闇に飲み込まれてしまう気持ちになり、私たちはどうすればいいのか分かりません。神様に仕えた いが、どのように仕えればいいのか分かりません。ニュースを見てこの世の中の悪をみて、自分が愛する者の悲しみを 見て、壊れた世の中を見て私たちはどうこの暗闇に灯を照らせばいいのかがわかりません。Andrew Schepという名 前の牧師はこう言いました。「絵を大きく見ることが無理に思えるときは、絵を小さくしなさい。自分の近くの人ほど 小さくしなさい。小さくすれば、望みにたどり着く道が見えてきます。」私たちはこの世も全体に光を照らすために神に 呼ばれていません。それは救い主の役目です。私たちは、隣人を愛するようにと呼ばれています。
クリスマスです。天の全てを放棄して、壊れた世の中に住むと決めたイエス様の誕生をお祝いする日です。 私はそのイエス様に似た者となりますか?あなたは?愛を必要としている人を、家族、近所、教会の中からみつけ ますか?
愛が必要な人を見つけた時は、目をそらせて歩き続けますか?それともその人たちに愛を与えますか?
(c) Revive Our Hearts. Translated and used by permission of Revive Our Hearts. Translated 2021, from the original blog post of Elisha Galotti.